2008-04-16 [Wed]
『ルルーシュが日本に…?』
『はい、彼は僕の家に預けられていた筈です! その、あの戦争で、亡くなってしまわれましたけど……』
『あぁ……そうね、確かにそうだったわ。でもスザク、それはルルーシュではないわ。ナナリーと共に日本へ向かったのは、ルーシウスよ』
『る、え?』
『ルーシウス。ルーシウス・ヴィ・ブリタニア。ルルーシュの双子の弟で、第十二皇子』
『双子…』
『一卵性の双子で、本当にそっくりだったわ。しかもそれを利用していつもクロヴィスお異母兄様に悪戯したり、私もよく騙されたりしたわ。彼らを見分けられたのはマリアンヌ様とナナリーだけだった…』
騎士に任命されてからここ暫く学校へ行けていなかった事もあり、スザクは常よりも速いスピードでアッシュフォード学園へと向かっていた。
頭の中にはユーフェミアとの会話がエンドレスで流れ続けている。
懐かしく目を細めていたユーフェミアは、言葉を無くしたスザクの様子に自分と彼の中の姿の違いを見たようだった。そしてそれが彼の根幹に関わるものであると察すると、直ぐ様スザクに学園へ行くよう命じた。連絡すべき事はもうない、後の手配は自分だけでも出来るので貴方は学校へ行ってください、と皇女の顔で。
ユーフェミアとしては、平穏な日常を愛する自分の騎士の心の安寧を促す一言のつもりだったのだろう。だが、結果的に学園にあるルルーシュを連想させる言葉に、スザクの心は凍りついた。
暇の言葉も漫ろに、一も二も無く走り出した自分の情けなさを、スザクは呪えない。スザクの中でルルーシュという存在は一般的な好悪の外にあり、最早切り離す事の難しい、己の心の中核の一部であるからだ。七年前の『あの夜』から絶えず求め続けていた光。七年の孤独を経て寄り添う事を許された、忌まわしく愛おしい記憶の象徴である『彼』。それが僅かにも揺るがされた事に、スザクはとてつもない恐怖を覚えた。今は一刻も早く彼の傍に行きたい、彼の声を聞きたい。こんな時は携帯を持てない身分を恨めしく思う。実際にはユーフェミアの騎士就任と共に手配はされているのだが、どこでどう『手間取っている』のやら未だ手元にこない。自分の代わりに怒ったセシルに仕方ないと笑った自分を殴ってやりたい位だった。
兎に角走り続けるしかなく、スザクは切れた息を飲み込んだ。
クラブハウスに駆け込んだスザクの目に飛び込んだのはホールの回廊でぼんやりと窓の外を見つめるルルーシュの背中だった。寂寥と諦観の漂う後姿は酷く儚げで、過酷な運動を続ける羽目になっていた心臓が全く別の意味で波打ったのを感じる。
「……スザク、か」
僅かに首を傾けた肩越しに見える瞳は、月明かりに透けて常よりも濃く青く潤んで、上った血をじわりじわりと心臓へ、足へと落とし込む。停まった事で噴き出した汗も疲労を訴え震える膝も、全てが凶兆に思えて堪らなくなり、スザクは思わず口を開いた。
が。
「る、」
『ルーシウスよ』
『ルーシウス。ルーシウス・ヴィ・ブリタニア。ルルーシュの双子の弟で、第十二皇子』
甘やかなユーフェミアの声がスザクの喉を塞いだ。
彼を何と呼べばいい?
ルルーシュ?
それとも、ルーシウス?
引き攣り、続ける事の出来ない言葉に何を見たか(恐らく全てを。彼は恐ろしい程全てを見通すのだ)、ゆっくりと振り返ったルルーシュ(あぁ、違うかも知れない、でもどう呼べば)は気を許した相手にだけ向ける慈しみに満ちた笑みを浮かべてスザクを見下ろした。
「……部屋に。ここは声が響くし、誰が来るとも知れないからな」
そう言ってきびすを返した背中はもう普段の彼で、だからこそそこにある喪失の前兆を思い知らされる。
扉の向こうへ消えた背を追う事も出来ず、しかしこのまま寮へ戻る事も侭ならず、スザクは震える身体を押さえ込む事が出来なかった。
***
ナナリーはもう休んでいる時間である為、クラブハウスは静かだった。
ぎこちなくルルーシュの部屋に入ると、言葉を発する前にローテーブルを指差される。何時もならチェスボードや読みかけの本が乗っているそこには、スポーツドリンクのペットボトルとコップ、タオルが置いてあった。
視線を戻せば呆れた様な笑みでルルーシュが笑った。
「取り敢えず、それを飲んで先ずはシャワーを浴びろ。ずっと走ってきたんだろう? 汗臭いぞ」
「……で、も」
「俺は逃げない。だから今は言う事を聞け」
気負いも無く目の前に立ち、テーブルから取り上げたタオルを胸に押し付ける。仕草も何もかもが変わらないのに、目の前の姿をどうしてもはっきりと見る事が出来ない。恐らくシャワーを浴びる間に少し冷静になれという事なのだろう。
今のスザクでは話を聞いたところでまともに考える事も出来ないだろうから、この提案はスザクにとっても助けになった。
「……ミレイか。スザクが来た。……あぁ、俺ももう少し手間取ると思っていたんだが、あの様子では、気も漫ろで役に立たないから追い出されたんだろう。此方である程度の説明はするから、お前は俺達のデータと事後処理を頼む。あと、済まないがルーベンには明日時間を空けてくれるように伝えてくれ……あぁ………あぁ、じゃあ、また」
それでも急く気持ちに耐え切れず烏の行水で飛び出すと、既に着替えたルルーシュに今度は本当に呆れられた。
「…こっちに来い。髪がまだ濡れてる」
「え、あ、」
「座れ……普段は偉そうにあれこれ言う癖に、こんな時は手を焼かせる辺りは全く変わらないな」
腕を引かれてソファーに腰を落としたスザクの髪を拭っていく。受け入れられている。護られていると思わせる柔らかさで髪を、頭を、項を撫でる手に、知らず溜息を漏らした。途端背後から小さな苦笑が聞こえる。
「溜息尽きたいのは俺だ。幾らなんでも素直すぎるぞ、少しは堪え性がついたと思ったんだがな」
「……だって………」
「…まあ、それについては俺にも責任があるんだろうが…本当に……」
それきりルルーシュが沈黙し、部屋にはわしわしと髪を拭う音だけが響く。そうなると徐々にスザクの中にも冷静さが戻ってきて、自分の混乱具合を思い出して少し恥ずかしくもなった。それほどに、ルルーシュの手は変わらなかったのだ。
当然だ。彼の名が別のものであっても、彼自身が変わる訳ではないのだから。
丁寧に髪を梳られ、ふわふわとタオルで頭を包まれながら、スザクは静かに問いかけた。
「ねえ……君の名前は、本当はルルーシュじゃないの…?」
手が止まった。一拍置いて、何事も無かったように再び動き出した手に視界が滲むのを感じながら、スザクは尚も問う。
「……七年前、君は父さんにも、僕にも、ルルーシュって名乗ったよね…?」
「……ああ」
「…でも、僕、今日聞いたんだ……ユフィ…ユーフェミア殿下に…七年前、日本に来たのは、ルルーシュじゃないって。ルルーシュじゃ、なくて、」
膝の上、握った手にぼたりと雫が落ちた。喉が引き攣る。
優しい手も、ぶっきらぼうに言いながらもこちらを気遣う性格も変わらない。それは理解したのに、名前が違うというたった一つの事にここまで動揺している自分が恨めしくなった。彼の事だから絶対に理由がある、頭では解っても心が付いていかない。十七になっても、彼に関わる事に関しては、情緒が七年前で留まっているのではないだろうか。
ぐすぐすと鼻を啜りはじめたスザクをどう思ったのか、髪を撫でる手は止まり、気配が背後を回って隣に着いた。そのまま隣に腰を下ろすと、彼は小さく息をつく。どう説明すればいいのかを考えているというより、言葉にする事におびえているようにも感じて、タオルの端から見える彼の手を咄嗟に握った。突然の接触に手はびくりと揺れたが、やがて指を絡めるように繋ぎなおされ、握り返される。
そのまましばしの沈黙。
握り合った手から、恐怖に揺れる不安定な鼓動が伝わるようで、ただ静かに言葉を待つ。
やがて決心がついたのか、ルルーシュはぽつりともらした。
「…………俺の名前は、ルルーシュじゃない。本当は、ルーシウスという」
「…」
「ルーシウス・ヴィ・ブリタニア。それが俺が生来持つ名前だ」
じわりと痛んだ胸に刺激されてか、再びスザクの目から涙がこぼれる。騙されたという思いなのだろうか、それとも他の何かなのだろうか。解らないまま懸命に嗚咽を抑え、ルルーシュの、否、ルーシウスの言葉を待つ。
「……何故、その名を名乗らなかったのか、疑問か」
「……」
頷くスザクに、当たり前だなと苦笑を洩らし、ルーシウスは繋いだ手に空いた手をも重ねた。
「俺が、ルルーシュの名を名乗ったのはな、共に在りたかったからだ。言葉も思いも届ける事が出来なくても……心だけは寄り添いたい、寄り添い続けているんだと願ったから、俺はルルーシュと名乗った……ただ一人、味方もいない場所に残してきてしまった兄の名を…な」
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